街は移り変わっていくものだ

退職し、無職の人生を謳歌して早2か月

2年ぶりに実家に戻り、街の景色が変わっていた

帰省した時は家にこもって何かを食べることが常だったため、

街の変化には気付かなかった。

実家に戻り毎日暇を持て遊ぶようになり、街を歩き店やお気に入りの場所を見つけることが、一種の趣味になった。

働いているときはこんなにも時間がゆっくりと進むと感じることはなく、

そして明るい朝から暖かさを感じる昼、色が更けてくる夕方、星と月が輝く夜

毎日の移り変わりを感じることができる。それだけで気持ちが穏やかになる。

 

そんな素朴な毎日の中、2か所お気に入りができた。

 

うどん屋と和菓子屋だ。

手打ちうどん屋さん。手打ちが売りで、平らで細い麺がはまる。出しは少し甘め。

お店はご夫婦でされていて、うどんの手打ちはご主人一人でしている。

いつも肉うどんをいただく。たまに稲荷セット。お好きなうどんに稲荷ずし2個、ちくわの磯辺揚げ2個、ミニ豆腐がつく。

そんなうどん屋さんが惜しまれながら閉店する。しかも店には閉店するという告知は貼られていない。最終日まで明かさず、静かに終えるようだ。

二人とも50代ということもあり、体力の限界を感じての決断だった。

機械を入れることも考えたそうだが、お店の看板に「手打ちうどん」と書いてあるからお客様をだますようなことはできない、という思いが強く閉店せざる終えなかった。

こんな思いの詰まったうどん。閉店する前にもう一度行こうと決めた。

 

和菓子屋さん。

80代のかわいい笑顔のおじいちゃんがしている。道路の脇道にあり、ひっそり佇むような、気の向くままに開けているようなお店。

いつもレモンケーキは必須で、夏は水まんじゅうも必須。一番のお気に入りは「鹿の子」あまり聞きなれない和菓子かもしれないが、このお店で初めて出会いはまった。

中に求肥を包んだ餡玉に、鹿の子豆と呼ばれる形の整った豆の密漬けを隙間なくつけて完成する和菓子だ。なんともその見た目がキラキラしていてる。その輝きは太陽に照らされる透き通った海のようだと私はいつも思った。

しかもいつも必ず一個おまけをくれる。手に置いてくれるのでいつもその場で食べる羽目になるが、それも店主のご愛敬。温かな時間が流れていた。

 

しかしこの和菓子屋さんもいつの間にか閉店していた。何も告知はなくお店に張り紙がされていた。もう二度とあの味とあの優しい笑顔のおじいちゃんに会えないのかと、、

悲しいが今までありがとうと伝えたい。おじいちゃんありがとう。おいしかったよ。

 

私のお気に入りがどちらもこの世からなくなってしまう。

新しく生まれるものもあれば、消えてしまうものもある。

まさに諸行無常だ。人生に永遠はなく、老いも若きも関係なく突然終わりをむかえる。

 

場所も人も物もすべて終わりがあること、突然の別れがあること。

そんなゴールがあることも頭の隅においておけば、今より少しでも一日一日を大切にできる、思いやりをもって過ごせるようになるかもしれない。

今は穏やかな毎日を過ごしているが、新しい環境で働くことになれば、戻りたいなと思うと同時に、頑張ろうとも思えたらいいなと、、

 

人それぞれに人生は刻まれていく。何の意味のないような一日であっても、大切な一日を過ごしていることには違いない。

 

街を歩けば移り変わりに気づき、同時に自分自身の人生の移り変わりにも気づけるかもしれない。

ふと思いついたときに街を歩いてみよう。今まで気づかなかったいろいろなものに出会えるから。